2003年6月30日月曜日

日本小品盆栽協会2



昨日の続編
日本小品盆栽協会の展示会風景もご覧になりましたか?

この団体の最大の特徴は、創立以来のアマチュア精神です

一口に小品盆栽といってもかなりの幅があります
まずサイズから区別すると

10cm以下(ミニ)
10cm~15cm(ミニと小品の中間)
15cm~20cm(小品)
と3つのジャンルに別れるでしょう

このなかでもミニ盆栽は
プロの作り屋さんが作っても利益の上がらないジャンルなので
戦前からアマチュア独壇場の世界です

その精神と技術は先輩から後輩へと受け継がれています

アマチュア恐るべしのページへどうぞ

  

2003年6月29日日曜日

日本小品盆栽協会1



今日は年に数度開催される日本小品盆栽協会の交換会
(上野グリーンクラブ・第五日曜日))

前にもご紹介したと思いますが
伝統ある愛好家団体です

かっては中村是好さんなどのスターがズラーと顔を揃え
佐野大助さんなどもこの会を地盤に鉢製作をしていました

この会の特徴は、盆栽サイズが国風展や雅風展やより一回り小さいことです
いわゆるミニ(昔は豆)盆栽です

第五日曜日に行われるので
年に数回、新旧の愛好家が素敵なミニ盆栽を持ち寄ってきます

どなたの顔も輝いていますよ
ミニ盆栽大好き人間ばかりなんですね

セリ人は中田武山(なかだぶざん)さん
栃木市の人で、小品盆栽鉢作家です

私も中田さんとはかなり昔からの知り合いなので
彼の番のときには特別にセリ人を頼まれます

写真でわかりますね
皆さんが熱心なことと素敵なミニが出品されていることが

今日は楽しい一日でした
今度の第五日曜日が待ち遠しいーッ

日本小品盆栽の展示会風景はこちら、参考になるよー!
      

2003年6月27日金曜日

捨て猫騒動



三日ばかり前から、台所に隣接した物置から子猫の鳴き声が
昼夜ぶっ通しでうるさくて眠れないほどです

誰かが捨てていったのでしょう、一見して飼われていた子猫です
腹が減ったのと寂しさで鳴き通しです、可愛そうに

捕まえてどっかの山の中へ捨ててこようにも、猫は簡単には捕まりません
参りました

その挙句に捕獲目的に警戒心を和らげるためと、鳴き止ますために
写真のように餌をやる始末とあいなってしまいました

追っ払ってしまえばいいのですが
隣の庭へと追っ払っても問題は解決しません

情が移らないうちに捕獲して山送りにするしかありません
一晩中鳴き止まずに参りました

猫は盆栽屋には向きません
盆栽で爪を研いたりオシッコをひっかけたり、大損害の恐れありです
猫は好きなんですが、飼うわけにはいかないのです

2003年6月26日木曜日

忘れえぬ人々4(岸総理大臣のお気に入り盆栽屋)

昔は盆栽を愛好する大物政治家がたくさんいました
吉田茂総理大臣はあまりにも有名です

岸信介総理大臣もそれと知られた盆栽愛好家で
日本盆栽協会の会長も長く勤められました
そして私邸の庭には盆栽棚があり、たくさんの盆栽が培養されていました

その岸信介総理大臣の大のお気に入りの盆栽屋はMさんという人で
私達が若造のころ、すでにかなりの年配の爺さんでした

盆栽道具を包んだ色のあせた唐草模様の風呂敷包みを小脇にして
いつもよれよれの作業服を着て、風貌もさえないし無口でした

どうみても大物政治家お気に入りの盆栽屋にはみえません
Mさん人気の秘密は何だったのでしょうか?

或る夜、突然台風がやってきました
盆栽にとって風の被害は一番恐ろしい

一夜が明けて岸邸は大騒ぎ
なんと、庭中の盆栽という盆栽がすべて消えていました

てっきり盗難にあったと思った執事さんや女中さんたちは
警察に通報しようとしました

そのときMさんがのっそりと庭へ現れたではありませんか
「たいへんだよ、Mさん、盆栽がみんな盗まれちゃッたよ!」
居合わせたみなさんは口々にうったえました

ところがMさん少しも騒がず
広い庭の隅に立つ物置用の建物を指差すではありませんか

女中さんたちが戸を開けてみると
盗まれたと思い込んでいた盆栽たちがどっさり詰め込まれていました

Mさんが、急速な台風の襲来から盆栽を守るため
夜中に一人で非難させたのです
さすがMさん、またもや人気はうなぎのぼりです!

そのころにはこの屋のあるじ、岸総理大臣もお出ましになり
一部始終をご覧にになっていました

総出で盆栽を棚に戻し終わると、たちまちこの屋のあるじがいいました
「おいッ、執事クン、Mさんにおこずかいをやりたまえッ!」

Mさんの人気の秘密は、この徹底的な奉仕の精神、それと不言実行にあったのです
弟の佐藤栄作総理大臣の盆栽もMさんがしっかりと守っていました

以上折り紙つきの実話です

2003年6月25日水曜日

「趣味の山野草」より


江坂正子さんの作品集よりヒメサユリ

侘び寂びの雰囲気と可憐なヒメサユリの鉢植え

一点の灯を点したような明るさが
小さな灯篭のまわりをひっそりと照らしているように見えます

草物盆栽の方が前衛的ですね
和風洋風を問わず積極的に異種類の空間に進出しているみたいですね
このヒメサユリは洋風の玄関などにも似合いそうです

2003年6月24日火曜日

山野草


「趣味の山野草」月間です
栃の葉書房発行
定価1,050円
何気なく4月号を見ていると
武部くんのママと江坂さんの奥様が出ており
塩沢という方を入れて女流人気作家の特集です

それでは女流作家のお手並み拝見といきますか


武部くんとは仲良しなんです(年は親子ほど違う)
もちろんパパの武部さんとは旧知の仲です

ところで武部くんのママの作品
いけてますねー

ピンクの花(ケマンソウ)を主にした寄せ植えは
構図もよく雰囲気もあります
鉢の選定も秀逸です

武部くーん
ママに負けないようにがんばってくださーい!


江坂さんの奥様の正子さんの作品
ざっくりとした生地に月白均釉(げっぱくきんゆう)のような鉢の釉薬の色と
ホタルブクロの紫色とがよく調和して、さすがベテランの味ーッ
お見事です


さて塩沢香織さんの作品
中央に小葉のズイナを据えオレンジ色のカナダオダマキと
紅茅を配しています

2003年6月23日月曜日

はなたれ小僧



五十六十は鼻たれ小僧
七十八十は花盛り
九十でお迎え来たならば
百まで待てと追い返せ

と書いてあります
是好さんが好んで色紙に書いた文句です

いずれ俳諧とか川柳とか落語とか江戸文化に関係ある方面からの引用でしょう

ところで是好さんは巧妙にアレンジしているような気がしています
数字の部分です

五十六十から始るのはどうも不自然な気がします
四十五十(しじゅうごじゅう)から始る方が語呂もいいし、昔の人の平均寿命(五十歳)にも符合します

四十五十は鼻たれ小僧
六十七十は花盛り
八十でお迎え来たならば
百まで待てと追い返せ

是好さんは年勘定が現代の平均寿命に合うように
10歳ずつ年をずらせていると思いますが、皆さんはどう思いますか?

2003年6月22日日曜日

くちなしの花



歌に植物の色や香りのことが歌われることは多く
くちなしといえば渡哲也が歌う「くちなしの花」が有名です

しかし、歌にけちをつけるつもりはないが
歌詞に似合ったような花の雰囲気かどうかはやや疑問に思えます

楚々とした白い花ではあうけれど
薄命な女性像に似合うような花ではないような気がします

花の後、すぐに実が結実するので
どちらかというと健康的な感じがします

いずれにしてもくちなしほど青虫に好かれるものはありません
気をつけないと一晩で空坊主にされます

2003年6月21日土曜日

忘れえぬ人々3

鉢作家の佐野大助さんも忘れられない人です
私が過去につれづれ草でお話しています

佐野大助のページへ

大助鉢の解説のページへ


佐野大助さんの作品では「東海道五十三次」シリーズが有名ですが
私も8年ほど前に、そっくり揃っているいるのを手に入れたことがあります
絵は安藤広重の「東海道五十三次」の写しです、いい出来でした

そのときにおもしろいことがありました
届けてもらって床の間に並べてみると2個足りないのです
53個しかないのです

「東海道五十三次」は江戸と京都の間の宿場駅の数ですから
作品として表す場合は55個になります

世話をしてくれたその旧い友達は「おれ知らなかったよ」とビックリしていました
案外そんなものかもしれませんね

絵付師佐野大助の名は、その作品とともに小品盆栽界に長く伝えられるでしょう

2003年6月19日木曜日

忘れえぬ人々2(中村是好さん)

戦前からの俳優でミニ盆栽愛好家の中村是好さんは
「昭和の花咲じじい」とも呼ばれました

晩年にはよく松戸に見えて、例の軽妙な話し振りは
さすがに年季の入った芸に裏打ちされたものだと思いました

住まいのあった東京葛飾の堀切から向島、浅草あたりの
ミニ盆栽愛好家の人気者で
あちらこちらの愛好会に呼ばれ、終生退屈している暇はありませんでした



「盆栽は 作るも楽し 見るもよし 侘び寂びありて 心常に豊かなり」
まさに是好さんの本音だと思います

是好さんはこのように、俳句や和歌、また盆栽を讃えることばに
洒脱な絵を添えた色紙をたくさん書き残しました

文字はすべてマッチの軸で書きました、署名もです
絵は二三本の小さめの筆を使って、瞬く間に書き上げます

行列を作って待っていても少しも慌てません
独り言をつぶやき頭をふりふり調子をとって、それは早いものでした

晩年の70歳を越して一回り以上年下の女性と再婚されたことを
私達に冷かされても
「そりゃーあんた、心配ご無用、私は現役ですゾ」といたずらっぽく笑ってました

是好さんがミニ盆栽界に残した足跡は
計り知れない大きなものでした

ちなみのこの色紙の裏に1977.6.22とあります
歳月が過ぎ去るのはじつに矢の如しですね

2003年6月18日水曜日

忘れえぬ人々1

私が若いころに親しく接した盆栽人たちについてお話してみます
浮世離れした、まるで落語に出てくるような愉快な人々です

まずは東京のMさんです

お洒落で”粋”な人柄で、おまけに凝り性です
盆栽には”惚れっぽくって飽きやす”いので商売はあまり上手とはいえません
つまり道楽七分で商売をしている人でした

人生観も簡単明瞭でこんなふうです
「いいかイ、宮本、おめーはな、いい人わるい人ってゆーけどな
おれにとってのいい人ってのはな
おれに親切な人かおれに儲けさしてくれる人だよ、その反対がわるい人さッ」

欲しくて仕入れた盆栽も、一月も売れないと飽きてしまい
遊びにゆくと「おれ、あれ飽きちゃった、半値でいいから持ってけよ」です

Mさんは着るものにも凝っていました

あるセリ場で、Sさんという同業者がMさんに言葉をかけました
「Mさん、わしの持ってるもんで何か欲しいものないかい?あったら買ってくれよ」

「あーあるよ、あんたの持ってるもんで一つだけ欲しいもんがあるんだよ、Sさん」
「何が欲しいんだい、何でも売るから買ってくれよ!」

「おれはな、あんたの着ていコートが前っから欲しくてたまんねえんだよ、売ってくれい!」
二人のやり取りを聞いていた私達はびっくりしました

もちろん盆栽の話をしているつもりのSさんが一番驚いたでしょう
自分の着ているコートを欲しがられるなんで、誰だって思わないでしょ

ところがSさんは
「うーんッ、Mさん、いくらで欲しいんだい?」ときました
とっさにMさんは三本の指を出して「30万で買おう!」といいました

かたずをのんでSさんの顔を見守っていると
「よーしッ、30万で売ろう!」とSさんは叫びました

寒中の寒いさなか、Sさんは潔く毛皮のコートを脱いでMさんに手渡しました
もちろんMさんは現金30万円をその場で支払いました

あとでSさんに聞いたところ、あの毛皮のコートは新品で100万円の高級品だそうです
2年ほど着たので古着ですが、着こなすほどに皮に味の出る品物だそうです
(それにしても帰り道はさぞ寒かったことでしょう)

他人の着ているコートを売れっていう方もいう方
それを目の前で脱いで売る方も売る方
どちらも子供のように無邪気なゲーム感覚です

Mさんはそのコートいまでも愛着を込めて着ています
これは飽きないようです

今は第一線を退いたMさんは大好きな骨董を趣味として
あいかわらず元気に夜遊びをもしています
よき人生かな!

私もずいぶんこの人にはお世話になりました

2003年6月17日火曜日

盆栽屋志望の2

盆栽屋志望の青年から電話相談を受けたことがきっかけで
自分の遠い昔を思い出しました

やはり私もあの青年と同じく盆栽屋志望の”迷える子羊”だったのです

20歳をちょっと過ぎたころ松戸に移り住んだ私は、たちまち盆栽の魅力の虜になりました
動機は、そのころはまだ色濃く残っていた松戸の野山の自然に接したからでしょう

近所の野山を歩き回ったり、時には東京の縁日に出かけ盆栽をあさったりの毎日でした
そのころの私は、盆栽の専門店があることを知らず、盆栽は縁日でのみ売っているものと思っていました(のんきと無知))

そんなことをしているうちに、盆栽を通じいろいろな友人や先輩もでき(いくつもの幸運に恵まれました)
ともかく盆栽屋の道を歩むことになったのですが、最初はわからないことだらけでした

盆栽界の環境という面から考えると、私のころは日本が高度成長期の真っ只中で
盆栽人口も飛躍的に伸び、盆栽ブームとさえいわれる時代でした

そんな恵まれた時代背景のおかげで
私のように、市内はおろか盆栽業界にも地縁血縁のない世間知らずの若造でも
何とか盆栽屋としてやってこられたともいえます

もちろん現在の方が盆栽趣味は社会に浸透し、日本の伝統文化として世界中に認知されており
国風展をはじめ小品盆栽の雅風展などの入場者数は増え続けています

ところが日本社会の経済状態が悪すぎます
それと、盆栽愛好家のレベルも上がり
プロの盆栽屋は非常に高度なものを求められている現状です

生半可な技術や鑑識眼は通用しません
この数十年で盆栽界は飛躍的に進歩しまた成熟しました

私達の年代では、独学でたたきあげの盆栽屋がけっこういます

ところが、若い世代で盆栽屋志望で修行中の若者のほとんどが二世達です
そのことは、この業界に縁を持たない若者がやっていくには
情熱だけではとても通用しない世界になっているためだと思います

現在の政治家やタレントにも例えられるでしょう
二世三世の国会議員の多いこと!

どんな職業でもその志願者の層は時代を反映してしているといえますね

付け加えますと、私はあの青年から相談されたときに、はじめは趣味としてやってみたらと暗に勧めましたが、それは無駄でした

2003年6月16日月曜日

楓名木への道


おそらく樹齢は20年を越える楓のミニです
足元からの幹模様、枝順、枝分かれなど申し分ない作りで
自然のなかにある古木の様子を見事に盆上に再現しています

ご覧下さい
頭の部分が未完成ですね
ここが作者の非凡なところです
盆栽を作り上げる手順の原則をしっかり守っているのがわかります

盆栽を作り上げるには、まず根元からです
そして、幹筋、次に一、二、三くらいまでの利き枝(ききえだ)をしっかり充実させ
次第に上部へと進むのがセオリーです

この楓は、これほどの年月をかけたにも拘わらず、いまだ頭部は保留の状態です
それだけ作者が、慎重にかつ理想を高く持って作りこんできた証拠です


これから先の数年間の創作計画ですが
幹の流れを考慮し、頭をやや右方向に作るようにします
(今の流れでは、足元の力強さが左方向に逃げてしまう感じですから)

赤線でシュミレーションしてみました
おおよそこのくらいのバランスで頭部の完成を目指します

その場合何より大切なのは、完成を急がず
他の枝にかかった分の時間をかけることです

急げば他の枝とのバランスを崩し
間延びした若い頭になってしまいます

頭部の完成は、本格的には5年かければいいでしょう
そのときには、頭部の枝の古さと、他の枝のそれがバランスよく折り合いがついているはずです

2003年6月15日日曜日

盆栽屋志望

「あのー、僕、盆栽屋になりたいんですけどー、どうしたらいいか教えてくれますか?」
若い人の声でこんな電話が入りました

「-んとーッ、ぼ、ぼ、ぼんさい屋になりたいって、ほ、本気ですか?」
「ハイ、本気です、盆栽が好きで、好きで、たまらないんです」

その青年の話をよく聞いてみると
盆栽歴はないが、盆栽が大好きで、プロになりたい
外国語が得意なので将来海外で活動したい
盆栽修行をさせてくれる適当な盆栽園を紹介してもらえないか
そのような内容でした

彼は雑誌で知ったのでしょう、関東一円のこれと知られた盆栽園の名を上げ
その園の特色などを盛んに知りたがっていました

私は直に各盆栽園を訪ねて園主と会ってみることを勧めました
なにせ、盆栽屋の修行期間は5年間というのが相場です
園の規模や技術の特色や営業形態なども大切ですが
その園主との信頼関係を築くことができるか、まずそこが一番のポイントです

その後にも数回電話があました
いろいろな盆栽園を訪ね歩るいた結果
自分なりにフィーリングの合う園主にも巡り会えたそうです

最後の電話から10日ばかり経ちました
あの青年はどうしているでしょう
いい園主に巡り会い、5年間の修行に耐え、首尾よく一人前の盆栽屋になれるよう陰ながら祈ってます

2003年6月14日土曜日

ピラカンサ取り木

取り木の適期です
ピラカンサの取り木に挑戦してみます

ピラカンサは簡単に発根します
発根した根元は年とともに発達して盤状になるという特色があるので
取り木の効果が最大限に生かせる樹種です


単幹ピラカンサの素材から株立ちを目指します
環状剥皮(かんじょうはくひ)の幅は、幹の直径の1.5倍くらいです(重要)


盆栽用の小型ノコで上下に筋目を入れます


環状に皮を剥きます
上の部分(発根する場所)は改めて鋭利な小刀でていねいに皮を削りなおします(重要)


木質部まで削り取り、形成層が残らないようにします(重要)


鉢底用の網で土手を築きます


赤玉土7:桐生砂3の用土を入れます
まだ削った部分が見えますね
削った部分が埋まるまで用土を入れます(重要)


用土を入れたら水苔(重要)で表面を保護して完成です
ピラカンサの場合は早ければ一ヶ月で発根します
そこで親木からはずしてもいいし、秋になって外しても
どちらでも可です
まず失敗はない樹種です

2003年6月13日金曜日

プロのセリ 2

100人以上のプロが集まる大オークションで
手のひらに乗るような小鉢の傷や真贋をどうやって見分けると思いますか?

一つは事前のチェックです(下見という)
もう一つはセリ人への信頼感です

セリ人がある程度の高値からセリ始めると、後ろの方にいる人も
その小鉢がホンモノで傷のない上物と認めて、安心して買いに入ります

いい加減のようですが、多いときは1,000点もの品が集まるオークションでは
目当てのもの全てを覚えていられないし、下見での目こぼしもあります

ですから、セリ人の責任は非常に重たーいッ!
のであります

10年ほど前の大オークションでのことです

あるセリ人が平安東福寺の贋物(がんぶつ)をホンモノと見誤って
高値からセリはじめ、おまけに自分で落札してしまいました

脇にいた私は、贋物であることを初めから見抜いていましたが
口出しはできません、「目違いその場限り」の不文律があります

そのセリ人は後で誰かに言われたのか自分で気がついたのか
とにかくこっそり出品者に強談判して、返品してしまいました


それはたちまち知れ渡り、そのセリ人が信頼を失ったのはもちろんです
偽物とホンモノと見誤ったからだけではありません
(間違いはつきものです)
何よりも「目違いその場限り」の原則を自ら覆したからです

2003年6月12日木曜日

プロのセリ

プロのセリには「目違いその場限り」という厳しい不文律があります

例えば盆栽なら、冬場には雑木の枝枯れなど注意しないと見落とす場合がありますし
株立ちと見えても寄せ植えだったり、根張りの一部が傷んでいたりなど
ちょっと見では気がつかない欠点もあります

鉢類なら真贋や傷の有無はその価値に決定的な問題となります

しかし、セリ台は鉢類の傷の有無のみ手短に説明しますが
出品物の欠点や真贋について事前に説明しないのが習慣です

盆栽類や鉢類の欠点や真贋については自己責任で落札しなければならないのです
それはプロとしては当然のことと考えられています

もちろん価格も自己責任!

落札した品物のクレームをいちいち受け付けていたらきりがありません
なかには弾みで高く買い過ぎたと思って、無理やり欠点を指摘してくる場合だって考えられます

どんな場合でも「目違いはその場限り」
プロはプロらしく自分の評価鑑定眼に責任とプライドを持て、ということなんです

たまには「これ偽物ジャン」などと泣きを入れるのもいますが、相手にされません
自分の眼力がなかったのですから、笑われてオシマイ

プライドを持った業者は「しまった!」と思っても決していいません
自分の失敗を口に出すことは、自分の眼力のなさを認めることにつながるからです

ジッと我慢と反省です
これが男を強くする(辛いけどネー、やせ我慢は)

以上プロ同士の取引について

2003年6月11日水曜日

水曜会

日本盆栽協同組合には水曜会という部署があります
オークション担当部署で、毎月第二水曜日にオークションが開かれるので
水曜会と昔から呼ばれています

二年に一度、委員の入れ替えがあります
6月がその時期です

私は連続15年勤めてきた水曜会担当の委員をここで退きました
(昔は3年任期だったので半端が出たのです)
勤続15年は今までにありません

朝は6時集合です
そしてセリの最中は立ちっ放し(約10時間)
元気がとりえの仕事ですから座ることは厳禁されています

メンバーは数人のベテランを中心として、若手が多く配されていまが
オジサン組にはとてもハードな仕事で疲れますよー

さて、今日のようすですが
私がセリ台の付近にいないことが、不思議な感じがする、と皆にいわれました
私も一般席に座っているのが、いまいち物足りなく落ち着かない気持ちでした

15年間の思い出はたくさんあります
セリの場所は、鉄火場ですからけっこうおもしろい話や怖い話がありました

徐々に思い出してお話します

2003年6月10日火曜日

傷口



楓の幹に二箇所枝を切った大きな傷口があります
切った人はよほど思い切ったに違いありません

現在の樹形から見ると、この2本の枝を切ったために
樹格はかなり向上したものと想像できます

上の真正面の傷口は完全に肉が巻いています
あとは傷口の幹の色が白くなるのを待てばいいだけです

側面の傷口は周りにカルスが盛り上がってきていますが
完全にふさがるには、少なくとも3年くらいはかかるでしょう

このように目立つところに切り傷をつけるのはためらいがちですが
不必要な枝を切って樹格を向上させるためには、思い切った冒険をすることも必要です

そして、傷口に肉が巻ききり、新しい肌の部分が次第に古さを帯びてくるのを待ちます
側面のような箇所は肉が盛り上がり過ぎないように
もう一度木質部を削りなおして、癒合剤(カットパスターなど)を塗っておきます

ちなみに、楓やもみじは肉巻きのいい樹種です

2003年6月9日月曜日

小鉢(三琇一陽)



平安東福寺や平安香山と並んで、昭和の小鉢名人(三琇一陽・さんしゅうーいちよう)の作品です
緑かかった青色の釉薬は独特のもので
下半分は使い込みの時代がついて真っ黒です

撫角(なでかく)の長方で、胴に紐が二本入って
柔らかい曲線で全体にゆったりとしています
このぬくもり感が一陽鉢の特徴です



土は褐色で肌触りはやや粗い感じで
その形とあいまって、一陽鉢をぬくもりのあるものにしています

作品は戦前と戦後ではやや違っており
戦前のものは土がこの鉢のように、褐色ですが
戦後のものはもっと白っぽい土を使っています

2003年6月8日日曜日

皐月展示会搬出

昨日(7日)は日本皐月協会主催の皐月フェスティバルの搬出日でした
場所は上野公園の池之端です

久しぶりにM3(えむさん)にお会いしました
M3は私の親しい真利子皐月園さんのホームページの管理人さんです
http://www.marikosatsukien.com/ueno2003/index.html

M3は皐月盆栽と小鉢の熱心な愛好家です
その激辛の鋭い切り口の語りで
盆栽をはじめ業界人の批評など、縦横無尽に切りまくりです

今はこういうタイプの愛好家が少なくなりましたネ
私らの若いころは
鋭い審美眼と独自の盆栽観を持った愛好家の諸先輩に鍛えられたものです

私の場合は、近所に有名な水石と盆栽の大家(愛好家)がいらっしゃって
鍛えられました
よく叱られましたネ、おっかない雷オヤジみたいなものです
しかしこれは非常に幸運なことでした(ズーット後になって気がつくものです)

いいですかみなさん、よく聞いてくださいよ!

盆栽業者のアドバイスは大枠では間違ってはいませんが
だいたい口下手ですし、まして愛好家に対して悪いことはいいません
生徒であると同時に大切なお客様ですから!

ところが盆栽人の中でも、愛好家のアドバイスはそのものズバリです
時によって、キビシーッものでがこの薬の効能は抜群です
(オヤジの説教と同じで後で効くようになってます)

愛好家は計算を度外視していますし
自分の大好きな盆栽のことですから、手間暇を惜しみません
だからすごーいッアドバイスになるんです

優れた先輩に巡り会うことが盆栽趣味向上の秘訣です

M3の管理する掲示板はこちら
http://village.infoweb.ne.jp/~fwkx6329/petit/petit.cgi

私の写真も載ってますよ
http://www.marikosatsukien.com/ueno2003/page/067.html

2003年6月7日土曜日

ボケ酒



果実酒の代表選手はなっといっても梅酒でしょうが
盆栽樹種のカリンやボケもけっこう知られています
カリン酒は喉の薬、ボケ酒は滋養強壮の効用があるといいます
それにボケ酒やカリン酒は香りがじつにいいですよ

長寿梅もボケの仲間ですから、この実でもボケ酒は作れます
(もちろん、盆栽から採取するんでは量が足りないし
実をたくさんつけると木が疲れてしまうので、無理ですね)

お酒の話はこのくらいで、長寿梅の培養についてのポイント

1 アブラ虫がつきやすいので注意
2 肥料は切らさぬように、でも水のやり過ぎには注意
3 芽摘みは、新芽が木質化してから一芽ないし二芽残しで切る
  (もみじやけやきの芽摘みとはここが違う・剪定の感覚でやります)

2003年6月6日金曜日

いぼた



野山に自生しているいぼたは、私の住む松戸市内の野山にもあります
ご覧のような白い花がさき、黒味かかった紫色の実になります

摘み込みや葉刈りにも強く、丈夫な木で培養は簡単なので
初心者にお勧めの樹種です

灰色がかった幹肌も培養とともに古色を帯び
小枝も密になります
他の雑木類と同じで四季を通じ鑑賞できますが
やはり冬の寒樹の姿がいいですね

ちなみに、漢字では「水蝋樹」と書いて「いぼた」と読みます
この木の樹皮に寄生するイボタロウ虫からとれる蝋(ろう)は
工業用や薬用に使われるそうで
けっこう私達の生活に役に立っているようですね

地味な樹種ですが、培養が楽なのでお勧めします
芽摘みと葉刈りで樹形を整えていきます
挑戦してください

2003年6月5日木曜日

ピラカンサ



昔から、ピラカンサスと呼ぶ人とピラカンサと呼ぶ人がいます
私はなんとなく疑問に思いながらも、今までピラカンサスと思っていました
広辞苑を引いてみたらですね

花は白くて小さな花です
実は黄色、橙色、真っ赤などいろいろあります
葉や枝、幹肌の性質も少しずつ異なります

なるべく小葉で枝の徒長しにくいもの、また幹肌の荒れやすいものを選びましょう
実も小さめのものの方が盆栽向きです

樹勢は非常に強いので、初心者でも安心して育てられます
取り木も簡単ですから、持ち荒らした素材などから株立ちなどを作るのもおもしろいでしょう

お勧めの樹種です

秋になると鳥が盆栽の実を食べに来ますが
梅もどきなどは特においしいらしく一番ねらわれやすいんです

ピラカンサの実はまずいんでしょうね
一番あとに鳥が手(口)を出します

2003年6月4日水曜日

柿泥棒始末

昨日グミの実の話をして、子供の頃を思い出しました

私が育った家の近くに釣堀屋があり
その広い庭に、大きな柿の木がありました

その柿の実のおいしいことは近所の悪がきには知られていました
ときどき失敬して味見をしていたからです

しかし、そこのオヤジが怖くて簡単にはいきません
そこで悪がき5~6人と相談した結果、夜間決行ということになりました

庭に忍び込み、両方のポケットに大きな柿の実を突っ込んだ刹那
「こらーッ!」というオヤジの叱り声がしました

何と、庭の門はいつの間にか閉じられ
大きな白い秋田犬を従えたオヤジが退路をふさいで仁王立ちです

悪がきの来襲を事前に察知したオヤジが一枚上でした
待ち伏せの網に引っかかったのです

しかし、超敏捷少年だった私は、犬小屋の屋根に跳躍し
そこから高い塀に飛び移り、やっとのことで逃れました(忍者のごとし)

かねて示し合わせておいた集合場所へ駆けつけましたが
他の悪がきは全員捕獲されて、生還したのは私一人です

ややすると、同士達が帰ってきました
大きな柿の実を一つずつ持ち、全員が坊主頭にタンコブをこしらえていました

オヤジは捕獲した悪がきを整列させ、他人のものを盗むのは悪いことだと説教し
大きなゲンコツを叩き込み、柿の実を一つずつくれて開放したのです

オヤジは、一人だけ塀を乗り越えて逃げた悪がきがいることも知っていました
もし出頭しない場合は、明日にも小学校に知らせるとのことです

その頃の先生の怖さは、父親やお巡りさんにも匹敵します
覚悟を決めざるを得ません

私は両ポケットの二つの柿を友達に預け(ここがミソ)
釣堀の怖いオヤジの元に出頭しました

もちろん説教と、一発の強烈なゲンコツと、一つ大きな柿の実をもらいました
そして、隠した前の二つと合わせて、三つの柿の実をゲットしたのです

それにしても昔の大人は迫力あったたですね
いくら柿泥棒の悪がきとはいえ、小学生の頭にタンコブができるほどの
強烈なゲンコツをお見舞いするんですから(今では考えられないですね)

社会全体で子供達を教育する気概と習慣を持っていた時代だったんですね

釣堀のおじさんごめんなさい
そして、ゲンコツと柿の実ありがとう

皆さんのなかでこのような経験のある方はさっそく掲示板で懺悔して下さい!
http://www.number7.jp/bbs/TM1844/

2003年6月3日火曜日

グミの実



グミの盆栽に実がたくさん成りました
地方で育った人たちはこれを見ると、とにかく子供のころを思い出すようです
ポケットをグミの実でふくらまして、実を口いっぱいにほお張りながら遊んだ
そんな話をお年寄り(盆栽人はみな気が若いけどね)がして聞かせてくれます

私は東京育ちなもんで、あまり食べた記憶がありません
それと母親に、青い梅の実を取って食べちゃあいけない、と強く言われていたので
木の実はあまり食べたことがありません
母親がいうには、青い梅の実を食べるとお腹をこわすということでした(ホントカナ?)

もちろん八百屋や果物屋に並んでいる果実(代表的なのは柿ですかね)は
木から直接とって食べましたよ
それもよそ様の庭の柿の木からです
(これって、平たく言えば,ドロボウーですよねー!)

2003年6月2日月曜日

深山かいどうの実



深山かいどうの実が成りました
普通盆栽界では、在来種の実かいどうをずみと呼び深山かいどうとは区別します
ずみは黄色い実、深山かいどうはやや大き目の紅色の実です

深山かいどうは改良されて実の成りやすいものや
大きく真っ赤な実のものなどもありまが
やはり盆栽に適したものは、節間があまり延び過ぎず
幹肌の荒れやすいものです

話はかわりますが
実物盆栽で結実しても大きくなる前に落果してしまう場合があります
それは水切れか肥料のやりすぎが原因です
実がある程度の大きさになってしっかりするまでは
その点に十分
注意してください

2003年6月1日日曜日

日本庭園



最近私が訪れたある日本庭園です
池の周囲は石が配され,岸辺にはつつじやきゃらが玉作りにきれいに刈りこまれています

作庭の名人が作った庭園ではなさそうですが
それにしてもこの写真の中に、私には気に食わないことが2点あります

一つは左上方に見える棕櫚(しゅろ)の木です
棕櫚は日本にも自生していますが、椰子科の植物です
何となく南洋の島という感じで、日本式の庭園には違和感があり
個人的には好きでありません

それともう一つあるんです
あの真っ白な灯篭です

池のほとりにあの高い灯篭が立っている必然性がありません
ただ置けばいいってもんじゃないですね
まるであれでは灯台のようですね

日本庭園は、自然の風景を模して凝縮したものです
船着場のようなところ
橋の袂など
明かりが欲しいところにひっそりと置かれてこそ情緒があります

みなさんはどう感じますか?

いずれにしても
よその立派な庭園に勝手にけちをつけるのは失礼なこことは重々心得ていますが
ものの見方という観点から勉強の教材にさせていただきました
あしからずご容赦下さい